katakuruの日記

しゃべり下手のおじさんが、太らない習慣を手に入れた方法を干からびるまで絞り出します。たまに育児を筆頭にした雑感も愛を持って書きます。

三日坊主は日々の選択疲れによって現れる

すごく単純なことなのだがよく考えたら不思議なことがある。

目次

なぜ心に決めたことが揺らぐのか?

おそらくほぼすべての人に当てはまると思うが、例えば

ダイエットをしようと心に決める。そこで人生の道の上で毎日2kmジョギングをするという選択肢を選びそちらへ進む。 ここでは間違いなく道を選んで進んでいるのである。 過去、3日ほどで挫折することもあっただろう。私はあった。 間違いなく選んで進んだ「毎日2km走るという道」だったのに、なぜ今自分が立っているところが「走らない道」に変わっているのだろう。何度も言うが間違いなく歩いていた道はそれだったはずなのだ。 実は「2km走る道」選ぶふりをしただけだったのか?「2km走る道」など無かったのか? 別れ道のイラスト

時が経ち道を歩むとなぜかその道の名前が変わっている?

ああ、実際に道路を車で走っている時、そんなことよくあるじゃないか。乗っている車線をそのまま進んでいたら分岐していることに気づかず17号線を走っていたはずが16号線に乗ってしまっていた、という具合のやつだ。

気付いていなかったがまた「2km走る道」と「走らない道」への分岐点があってその選択をしていたのだ。

道を選択するのは一念発起した一回だけではない

何かを始めようとしたときに自分で選択肢を用意したが、そのときは一回限りの選択肢のつもりだったはずだ。しかし現実は毎日分岐点が現れ選択肢を突き付けられる。 なぜそれ以前は選択肢は現れなかったかというと当然自分で設定していなかったためだ。選択肢が現れなければ迷うわけもない。「2km走る」ことなど考えることもなく、毎日「走らない」ことを続けられたのだ。

対抗する選択肢がなければ毎日続けられる、はず?

「2km走る」しか選択肢がなければ毎日走るだろう。最初の日に「毎日2km走る」を選択したのに毎日「走らない」という選択肢を自分で用意し、その二者択一をするという愚かなことをしていることに気づく。 「走らない」は選択肢として用意しなければ良いのだ。

とそうは簡単ではない。 「走らない」選択肢も必要だからである。体調や天候が悪かったり、ほかにやることが出来るいう理由で中止しなければならないこともある。「走らない」選択をなくせないことが、迷わせる理由である。これこそが「走らない」ことの言い訳を許してしまう原因であり、三日坊主がこのとき顔を出す。

習慣付けを自分に邪魔されないための心得

言い訳を封じる

「走らない」言い訳を封じるためにはこうする。「走らない」選択をする条件を決めておくのだ。 例えば 5mm/h以上の雨、降雪時、0℃以下の気温、32℃以上の気温、21時以降、37℃以上の体温 仕事終了が19:00以降

などを条件として予め決めておきこれに該当しなければ「2km走る」を選ぶ。

習慣付くとは選択に必要なエネルギーが少ないこと

16号線を進んでいて分岐に差し掛かる。1日一回やってくる例の分岐点だ。そこで「2km走る」方に進むには車線変更しなければならない。道なりに進めば「走らない」。最初のうちはこれが毎日続く。 しかし慣れてくると、道なりに進むだけで「2km走る」ことが出来るようになる。 無意識に無頓着に生きているだけで最初に心に決めた道を進むことができるようになる。

習慣付くと楽に選択できるようになるのだ。

ちなみにスティーブ・ジョブズ氏がいつも同じ服を着ているのは余計な判断疲れを避けるためであることは有名かと思う。日々人は数え切れないほどの判断を重ねている。選択肢が一つしかないことが一番だが、選択肢があってもその都度の判断基準が単純であれば選択に疲れることもなく迷うこともないのだ。

まとめ

  • 何かを始めようとしたときの選択だけで道は続かない。
  • 何かを始めて毎日続ける=毎日「やる」「やらない」の選択肢が待ち受けている。
  • 正解肢を選ぶことを単純な判断基準で行う。これが判断疲れをなくし、言い訳の余地をなくす。

何かを習慣づけたいときにこんな単純なことさえ気をつければ三日坊主にならずに済むという提案でした。

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