katakuruの日記

しゃべり下手のおじさんが、太らない習慣を手に入れた方法を干からびるまで絞り出します。たまに育児を筆頭にした雑感も愛を持って書きます。

【アメトーク】同期芸人くくりの面白さ

アメトークという番組では、「◯◯芸人」という企画の型があり、10人くらいのある共通点を持った芸人が出演しその共通点ならではのトークをする企画なのは有名だろう。◯◯という共通点でくくっている、という企画シリーズだ。

 

 

「◯◯芸人くくり」型の企画

アメトークが人気番組になったのには、この共通芸人くくりの型の企画が大きく寄与している。
◯◯に入る芸人の共通点とはこういうものがある。

  • 何かに詳しいこと
  • 好きなこと
  • 性格・芸風
  • 地元・実家に関すること 


家電芸人HUNTER×HUNTER芸人、人見知り芸人や実家が農家芸人など、喋りのプロが集まってその深い知識やあるあるネタ、独自のエピソードを披露する。それをMCがさばく。ある一方の分野に偏向した内容になりそうなものだが、演出とMCの絶妙なバランス感覚MC側に「分野に疎いタレント」を一人配置することで、視聴者との距離が離れ過ぎることはない

 


同期芸人というくくり

 
◯◯芸人はある分野に精通していたり変わった性質を聞き出せたりする面白さが人気なわけだが、一方で同期でくくるという放送回がある。

少々乱暴な共通点である。

 


芸事を始めた(養成所に入所した)年度でくくってしまうのであれば芸人は特殊性も努力も必要なくアメトークに出演できるということになってしまう。生き残ってさえいれば、だが。

 

そんな違和感を補って尚余りあるほど、同期芸人くくりの放送回は楽しい。

 

これは自分の経験に置き換えると、同窓会や友人の結婚式などで同期の仲間が集まったときの、安心と高揚が混ざった、おばあちゃんちの匂いのような、得も言われぬ郷愁感が思い出されるのである。

 


同期の芸人が集まって当然、敬語を使ったり気を使ったりする必要はなく、世の中の上下関係のしがらみなど忘れてしまう箱庭のようなものがテレビ画面のひな壇上に現れている気がするのである。

 


同期だけ集まったバラエティー番組の価値

 少し前に、脳科学者の茂木健一郎氏が「今のバラエティーは上下関係の笑いに終始している。」と辛辣で賛否両論ある意見をツイートして話題に上がった。確かに同期芸人くくりの放送回を見ると上下関係から解き放たれた笑いの魅力に気づくし、アメトークでその貴重さを感じるということは、上下関係前提の笑いのあり方がいかに蔓延しているかということを物語っている。

 


もちろんこれは、上下関係ありきのバラエティー手法を否定するものではない。その緊張感が作るものが大事だったり、それを裏切ることに笑いがあったり、キャストを多様化するにあたって当然起こることである。

 

 

しかし、キャスト同士の先輩後輩など視聴者には本来関係ないことである。視聴者にとっては内部的な上下関係を鑑みて笑いのやり取りを見なければいけないのは実は無駄な一手間なはずである。

昔のバラエティー番組を思い返してみると、ドリフターズにしてもコント55号にしてもそのメンバー間に上下関係が明確にあるにも関わらず、画面上では互いに敬語は使っていない。我々は子供の頃、志村けんと加藤茶の立場は同等の親友みたいなものだと信じていた。しかし本当は志村は加藤に頭が上がらないほど尊敬と感謝の念を抱いている。

当時、上下関係は視聴者に感じさせないようにしていたのだ。

 


茂木氏はこういった箱庭を大事するバラエティー文化が、忘れられつつあることを憂いたのではないだろうか。上下関係を用いたバラエティーはつまり、視聴者の理解に依存した笑いなのである。

制作者の裏の事情を表に出してしまうバラエティー番組が主流となっていて、このことも関係してくるのだが当記事では話が広がり過ぎてしまうのでまたの機会にしようと思う。

 

 

 

最後に(なぜ同期芸人の放送回が楽しいのか分かった)

 
視聴者の上下関係理解が必要な笑いが主流なことに対して、同企画はそれを取っ払って見ることが出来るため、当人たちがリラックスしているのと同じように、見る側もリラックス出来るのである。視聴者の理解に依存されず、純粋な気持ちで見られる番組だから楽しいのである。

 

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