katakuruの日記

しゃべり下手のおじさんが、太らない習慣を手に入れた方法を干からびるまで絞り出します。たまに育児を筆頭にした雑感も愛を持って書きます。

残業時間が減らない理由は宗教観にあるんじゃないだろうか

 

自由の国アメリカ?

 

アメリカが自由の国というのは人が自然に生んだ最大のキャッチコピーだろう。日本人は戦後、濃厚に外国文化に触れるようになり、自分らの文化との違いを目の当たりにしたとき、それを自由と表現してしまった。彼らが言うLibertyを自由と訳してしまった。それと同時に自分らには足りないものであると何故か錯覚してしまった。

 


Libertyは制約されないという意味が含まれている。これは奴隷として扱われない、ということを願った背景にある。

 


日本人は明治時代からLibertyを持っていたのだ。Libertyを意識したことが無かったのに外国文化に触れた途端Libertyを目で追ってしまった。側にいてなんでもない存在だったLibertyに恋をしてしまったのだ。

 

アメリカでは人間は最小単位で存在し、それが個


アメリカにおいてLibertyが生んだことは、無制約であり、これは自己責任を意味する。個人主義を強く意識すると、自分が所属する集団は集団としての意味しか持たない。集団は自分のアイデンティティとは切り離されたものであり、これが集団にとって個人のLibertyを確保している。しかし、言い換えると集団は個人を助けてはくれない。個人もほかの個人を助けてはくれない。

競争社会に勝った人には希望が待っている一方、落ちぶれた人はとことん落ちぶれて、心が育たない人はとことん育たなくて、極端に凶悪化した犯罪が生まれる。個人は原子として存在し振る舞う。

 

 

日本の個は、繋がりを無視できない


対して日本においての話をする。

日本は集団主義である。手を取り合い、落ちぶれそうになった人を救おうとする。心を支えようとする人がほかにいて、心の健康は底上げされ犯罪が極端に凶悪化することは少ない。自己責任の考え方は連隊責任や原因自分主義という形で現れる。他人の瑕疵を自分の責任と思うわけではないが、自分がどう振る舞っていたらその瑕疵は防げていたか、を考える。集団はそう考えるから個人を救おうとする。このように振る舞うときの心の動きとして日本人のコミュニティ感覚は他人とどこかで繋がっているような気がしている。だから手を離せないし突き放せない。個人を原子として考えたとしても原子一つ一つを取り出すことは出来ず、なにかと結合した分子として振る舞う。

 

 

 

これらが宗教観に起因すると考える


日本人に宗教観を尋ねても疑問符が返ってくることは目に見えている。信仰する宗教を持たないと考えている人がほとんどだからだ。

しかし、初詣は行くし、葬式は仏教式で行わないと気が済まないしお墓参りをすれば何となく気持ちが落ち着く。神社では粗相をしないように気をつけ神体の前では姿勢を正す。日本人の心は神道と仏教に染まっている

 


とはいえ仏教典やお経の意味も理解したこともなく、形式を仏教や神道に習っているということだけで日本人が仏教の考え方に染まっている、というのは乱暴な気がするだろうか。いや、個人というものの捉え方は、仏教そのものだと私は思うのです。

 


仏教においての個


仏教では一人一人の個を表現していない。自性がない、という言い方が正しいだろうか。AさんとBさんはそれぞれ体は違うもので脳もそれぞれのものを使っていて別の体系の中で思考し生命維持していて、別の個体のように思える。しかし、どこかで繋がっている。Aさんが何かを考え作業することがBさんには影響しているはずである。もしかしたらAさんが最初に何かを考えたのはBさんの影響かも知れず、Bさんは他の誰かのお陰で今日を生きながらえたかもしれない。人々を分けて分けて個として存在することは出来ない。つまり個人と個人の境界は曖昧なものと考えられる。そうなると個人を言葉で表現しようとすると難しくこれを、お経の中で聞いたことあるだろうか、とかとか曖昧な表現になる。

人と人は切り離して考えられない、ということは日本人全体の思考のクセであることは前述の通りで、仏教の心は日本人の奥深くに根付いているといえる。

 


これも一つのLibertyであったはずである。この仏教の心とは違う個人の考え方に触れた日本人がLibertyに恋して個人主義に染まろうとし、現代日本人のものの感じ方が独特のものとなっている。

 


残業時間が減らない理由


日本人の就業時間が極端に長い割に生産性はそれほど高くない。日本人のIQは低くはないはずである。

付き合い残業や他人のペースに合わせた時間配分になってしまう。自分の時間が自分の時間でありそれ以外の何物でもない考えられる西洋人と違い、自分の時間が空や無として他人の時間でもあるとどこかで考えてしまい、他人のために時間を使ってしまう。自分が残業時間を削れば他の誰かが辛い思いをする、そんなことが脳裏に浮かび、残業時間を長くしてしまう。日本人の潜在意識的な宗教観が働き方改革を妨げるのだ。

 

最後に

日本人の根底が仏教の空や無に基づいている限り今やろうとしている働き方改革は上手く進まないのではないかと私は思うのである。日本の政策は日本人の性質を活かして考えねばならない。

 

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