katakuruの日記

しゃべり下手のおじさんが、太らない習慣を手に入れた方法を干からびるまで絞り出します。たまに育児を筆頭にした雑感も愛を持って書きます。

はっきり言わない日本人が本当に大切にすべきこと

日本語はあまりはっきりと表現しない、というのが外国人が戸惑う大きな理由である。しかし日本人が大切にしたいコミュニケーションの仕方でもある。

 

 

表現が曖昧な分、体で明確にする。


日本人は言葉ではなく体が相手に向かい礼儀をしめさないと落ち着かないような気持ちがある。

 

 

  • 頭を下げる
  • 体を前に向ける
  • 脚を組んだり肘をついて話を聞かない

等だ。

 

土下座をしながら

「お願いします。この通りだ!」

というのは、まさに自分の体で示している姿で伝えようとしているのが現れている。

 

言語ではっきり伝えない文化だから姿勢を大事にするのだろう。

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逆にはっきり発言すると違う意味に聞こえる

 

不思議なことに言葉数多く丁寧に話すとかえって失礼な印象を与えかねない。

はっきり言うとかえって変な意味にとられる、ということを示した例を挙げる。


電車の中などで小声で早口で「すいません。」というだけで「ああ、この方は通りたいんだな。」と分かり別段失礼とは思わず道を譲る。

しかし、大きな声で主語や目的語をはっきり伝えるように

「すみません。あなたは私のことを通していただけますか?」

と言ったらどうだろう。大抵の日本人は、「初めて言われたはずなのに、僕が2~3回無視していたみたいな言い方だな。わざと邪魔してたみたいじゃないか。」という気分になる。トラブルの元になるのだ。

 


他にも

「おはようございます。」

をはっきりと発音するとアルプスの少女ハイジのロッテンマイヤーさんのように冷たい人のよう思われるし、また

「お先に失礼いたします。」

という挨拶も普段は自然と語尾にかけて音量を絞るように言うと思う。これを大きな声で語尾まではっきりと発音すると怒っているように聞こえ、「実家に帰らせていただきます。」のときの言い方になってしまうのだ(この説明自体もニュアンスを含んでしまっているが)。

 

ニュアンスで伝えるから受け取る側の能力も重要


日本人ははっきり言わない、と外国人によく困惑されるが、日本語はニュアンスで伝える言語だからなのだ。

日本人はEQ(相手の感情を感じ取る能力の指標)が世界一高いと言われるが、それによりこのはっきり言う必要がない場合が多く、逆にはっきり言うリスクの方を感じ取ってしまい、包み隠して話すのである。極端にいうと、自分の発言をどう感じるかを相手に任せることになる。

 

日本は発達障害者数は10パーセントとも言われ、世界トップクラスである。

これは発達障害として明らかになる確率が高いだけかも知れない。

ニュアンスありきの、EQありきのものの伝え方をする日本人の中で、発達障害(この場合特にASD)が軽いものだとしても生きにくく感じ自覚しやすいからではないだろうか。

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とはいえ得意不得意は誰にでもあり、日本人が特に得意なことが相手の感情を感じ取ることであっただけで、これをたまたま苦手として生まれた人が生きにくい社会となってしまっている。皆が得意なことが苦手だから生きにくいのだ。軽度であればほとんど得手不得手の一つだと思い、気に病むことはないのではないかと、勝手ながらそう思ってしまう。しかし本人は深刻に悩んでいることもあるから発達障害についての知識と理解をしっかり頭に入れた上で記述しなければいけないところだ。

 

まとめ

日本語の奥ゆかしさは美しく、失いたくない。

しかし一方で生きにくく感じてしまう人もいる。

 


日本人はせっかく持っているその高いEQを、発達障害の方が生きやすくすることに使わなければならないのではないだろうか。

 

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