中国の技術革新にみる産業発展と社会成熟の関係
中国の技術革新は進む。しかしどうしても拭えない最新技術と未熟社会の違和感について書かせていただきたい。
この技術革新が進んでいることの背景、そして違和感の正体だ。
目次
目立つ中国の技術革新
キャッシュレス化
特に日本が遅れていると言われる、キャッシュレス化に関してはモバイル決済率は98%を占め、ほとんど現金自体を見ることがない。店舗を持たず手売りで飴を売っているおじさんですら、QRコードを胸にぶら下げて客にはそれをスマホで撮影してもらうという決済方法だ。キャッシュレス支払は顔認証で行うものもあり最新技術をキャッシュレス化に注がれていることが目立つ。キャッシュレス「化」という表現は適切でないかも知れない。キャッシュレス社会は実現済みである。
監視システム
顔認証システムとスマートメガネ、AI、ドローンなど最新鋭の技術を用いて政府は市民を監視している。街中をドローンが自在に舞う姿はSF映画の世界のようだ。ドローンの世界シェアもトップであり技術も圧倒的である。歩行者の赤信号を無視して渡った市民は監視システムにより顔を撮影され目線はつけられるとはいえ、大きなスクリーンで晒される。
必要は発明の母
以上の革新的な技術を用いられる背景は、その必要に迫られていることにある。
キャッシュレス化は、大規模な偽札業者の横行や汚染した紙幣の不衛生さを解消すべき行われたことである。
政府が監視システムを導入したのは、市民の社会信用情報を集めるためだということだ。市民個人の普段の行いに悪質な一面がないかを客観評価するために顔認証やAIを中心とした監視システムなのである。
国民全体のマナー含めたコンプライアンス遵守への意識が低いことに起因して、最新技術に監視させることに踏み切らざるを得なかったのだ。
日本で個人の社会信用を証明する情報など前科の有無と金融業視点での信用情報ぐらいのものだか、中国ではより多くの客観的な情報を収集する必要があるということになる。
社会の成熟と技術革新
やはり違和感を覚えざるを得ないのは、中国国民全体のモラルの低さと技術の高さのアンバランスさである。いやむしろバランスが良いのかも知れないが、日本人の私としては飲み込みにくい感覚なのだ。
国民のモラルの成長が技術の進歩に追いつかず、モラルの穴を技術で埋めようとしていることに悲しさを感じずにはいられない。
これは国民全体がシステムによる監視・管理下に置かれないと、その行動を制御できないという、現代人として恥ずかしい状況を露呈している。
技術革新と経済発展のタイミング
映画スターウォーズのタトゥイーンという惑星では、ギャングのはびこるスラム街に生物をはるかに凌駕した知能を持つドロイドが生活を支えている。中国の未熟社会の中にある最先端技術の違和感はこれに似ている。バランスが創作されたSFのようなのであるが、このアンバランスさは、世界の技術の進歩とその国の経済発展時期の関係に理由があると私は考える。
どういうことか説明したい。
世界全体の科学技術・産業技術は18世紀後半のイギリスで起こって以来、進歩はとどまっていないどころか2次関数的に急成長しているように思う。
そのイギリスの経済成長はもっとも早い時期に起こり19世紀は筆頭の経済大国であった。
イギリスは世界の技術革新を起こし、同時に経済成長を成した。
アメリカはどうだろうか。同国の産業革命は世界的には第二次のものであり20世紀に入る頃だ。19世紀中に経済成長を続け、20世紀前半にトップを勝ち取る。
アメリカは世界の技術革新を受けた後、自国の経済成長している。
中国は、18世紀後半のイギリスの産業革命から200年以上の間かけて世界中で産業技術が成長に成長を重ねた後である昨今経済成長を始めている。その分、経済成長を支える技術が充実しているのだ。
これが中国の技術革新が社会成熟よりはるかに先行して、その共存がアンバランスに感じる原因ではないかと思う。
監視社会の広がりは日本に危険をもたらす
確かに中国の監視社会は世界に先行しているが、日本が遅れすぎているという言い方も決して間違えていない。ここに日本の危機が潜んでいる。
テロリストの脅威に打ち勝つ意図がほとんどとはいえアメリカやイギリスも監視のノウハウを社会に導入しAIによる犯罪予測システムなど、個人が監視測定された情報で客観評価される方向に向かっている。
安全大国日本がこの点で出遅れることは予想に容易いわけだ。これにより各国で仕事をしづらくなった犯罪者が監視のゆるい日本を移住先に選ぶことも考えられる。
日本の成熟した社会が危険を招き入れる結果になりかねないのだ。
最後に
日本の古くからの文化が人の心を育てた。社会というのが人の集合だということから目を背けなくて済むのは日本の心が作る社会が心地よいからである。
しかし成熟した社会が技術の発展を必要とせず、発明の母である「必要」の力を弱めることにもなる。
幼い子が知識を吸収する原動力が「好奇心」であるように、未熟な社会は「好奇心」により技術を欲する。
社会の好奇心が技術を発展させる推進力というなら、日本こそ負けていないはずではないだろうか。